本記事は、月替りエッセイ2020年7月特集「夏の記憶」を改編したものです。
思いがけず自粛生活が長引き、ほとんどの時間を自宅の半径1km圏内で過ごすようになった。そんな生活の中で、より一層懐かしく感じるのが旅行や留学の思い出だ。今回は少し時間を巻き戻して、私の高校時代の留学の記憶を辿ってみたい。
2017年6月、アメリカ留学も終盤に差し掛かった頃。ホストファザー、ホストシスター、ホストブラザー(以下:お父さん、妹、弟)と私の4人は、アメリカ東部のチェサピーク湾に面するビーチへちょっとした夏休み気分を味わいに出かけていた。ビーチは同じくバカンスを楽しみに来た人たちでいっぱいで、目抜き通りに構えられた店は多くの人で賑わっていた。キャンプやハイキングもいいが、こういう「おきまり」な楽しみ方もいいなと心が浮き立った。
ホテルに着くと早速水着に着替え、ビーチへ向かった。メインストリートとは対照的に、ビーチはそこまで混んでいなかった。お父さん以外の私たち3人は、意気揚々と海へ入っていった。
しばらくすると、妹と弟があるゲームを始めた。波が来ると同時にしゃがんで、文字通り波を「くぐり抜ける」という遊びだ。最初見ているだけだった私も、二人に促されてやってみることにした。
波が迫ってくる。決して小さくはない。体は水の力でゆらゆらと揺れているし、浮力で安定感が悪い。一体どうやってくぐり抜けるのか検討もつかないが、二人によると「波が来たらそれに合わせて膝を曲げる」らしい。よし、一か八かやってみよう。
ザブン、グルグルグルグルグル…
なんだかよくわからないけれど、とにかく揉みくちゃにされたという感覚だけはあった。そして波に洗われ、地面に叩きつけられ、砂の手痛い洗礼を受ける。
波が去ったところで、なんとかよろめきながら立ち上がった。そんな私の姿を見た二人はびっくり仰天。慌てて駆け寄ってきた。弟はお父さんの元へ知らせに行ってくれた。ライフセーバーの男性も駆けつけ、その場に居合わせた見知らぬ女性まで私の元に来てティッシュを差し出してくれた。そこで初めて、自分が鼻血を流していることに気づいた。
しかし幸い大事には至らず、気恥ずかしさもあったため、周りの人にお礼を言ってそのままその場を立ち去った。
もちろん、戻ってきた私と妹を見てお父さんもびっくり仰天。弟の報告はいくらか簡略化されていたらしい。しかし私を含め3人とも大したことないと思っていたのだから仕方あるまい。
そして妹が一言、
「これで日本に帰ってからの土産話が一個増えたね!」
この超ポジティブな言葉を聞いて、一気にスカッとした。
そうだ。なかなかに恥ずかしい体験ではあったけれど、笑い話に変えてしまえばちょっとした武勇伝じゃないか。
実際日本に帰国してからも顔にできた擦り傷の痕はなかなか消えず、私は幾度となくこの武勇伝を披露することとなった。
あのときの妹の言葉は、ずっと私の心に残っている。そして何かあったときは、今でも私を励ましてくれるのだ。きっと本人は忘れてしまっているけれど。
たしかにあのときはついていたと言わざるを得ない。一歩間違えれば大怪我を負っていたかもしれないのだから。
しかし何かに挑戦するときは、失敗がつきものだと思う。波に転がされた時もちょっと怖かったし恥ずかしかったけれど、今にしてみれば笑い話だ。私はきっとこれからも、何度も波に転がされてはしぶとくまた海に入って行くだろう。
さて、次はどこの海に行こう。
(文・小林 かすみ)