世界最後の手書き新聞 チェンナイの「ムサルマーン」

インド南部、タミルナードゥ州の州都のチェンナイ。インド北部と違って、タミル人が多く住んでおり、タミル語を話し、タミル文化の都市となっていた。17世紀から港湾都市としてイギリスと交易が行われていた。現在、インドの自動車産業の都市として知られるようになり、英語圏メディアによると、「インドのデトロイト」と名付けている。

その都市のにぎやかな通りの中に、中東で生まれた文字の書法の伝統を守っている新聞社が位置している。右から左へ書き、柔らかな感じがしている文字の感じ。そして、他の新聞に代わって、面はすべて手書きで書いてある。

これは、ウルドゥー語の夕刊新聞「ムサルマーン」の話である。

1927年にサイイド・アズマトゥッラに創立され、80年を越える手書き新聞の伝統を誇っている。サイイド氏は当時、チェンナイのごく小さなムスリムの共同体とカーティブ(アラビア文字の筆記者。アラビア語に由来する)を援助するために新聞局を創った。現在は、サイイド家3代目のサイイド・アリフッラ氏は編集長として働いて、新聞を編集している。彼のほかに、3人のカーティブは新聞の面を記しており、印刷をしている人は一人しかいない。それに、とても小さな事務所で働いている。エアコンの代わりに天井扇を使っており、机は3~4台しかない。デジタル化されている世界の中、ムサルマーンの商売を動かせるのは、社員が持っているウルドゥー語とアラビア文字の伝統への愛だ。

ムサルマーンという新聞は1部4面だけだ。ニュースの話題は国内外ニュースや文化、ハディース(イスラム教の開祖ムハンマドをめぐる言行や事蹟についての記録)、ナマーズ(イスラム教の礼拝)、スポーツなど幅広い。1面は国内外のことであり、2面と3面は社会面、最後の4面はスポーツである。チェンナイのムスリムの人口は小さいため、発行部数は毎日2万2000部しかない。それにしても、ムサルマーンの筆記者は毎日、美しい文字で熱心に書いている。

では、ムサルマーンが手書きで記されているのはどうしてだろうか。

グーテンベルクの活字体印刷の発明から、ヨーロッパ諸国が用いるアルファベットは活字化に成功したが、川の流れのような書法がふさわしい文字とされるアラビア文字などの文字を活字に変えるのは難しい。その文字を活字化される試みは16世紀にヨーロッパに生まれたが、中東には普及していなかった。さらにムスリムの筆記者とイスラム法の学者は印刷の技術に対して保守的な先入観と偏見を持っていたため、書物を商品化したグーテンベルクの発明はアラブ世界に広まっていなかった。ついに19世紀からエジプトでアラビア文字の印刷ができた。

エジプトで印刷ができたが、インド半島ではアラビア文字の普通の書体を用いられず、ペルシャでできたナスタアリーク体が用いられている。その書体は文字をもっと崩して書いてある。ナスタアリーク体の活字化の試みはあったが、1980年代まであまりできなかった。ついに1994年にパキスタンとインドの新聞社向けウルドゥー語ワープロ「InPage(インページ)」が開発され、ナスタアリーク体の印刷ができるようになった。

しかし、ナスタアリーク体はついにデジタル化されても、ムサルマーンは手書きの伝統を年々続けていく。それを頑固な考え方と捉えるかどうかは、人によって違うと思う。前途が暗くても、ある遠いアジアの国には、筆記の美しさを守っている新聞局が存在することは誇らしい。もし、インドだけでなく、全世界が彼らの試みを尊敬し、新聞局をお金とか材料において援護すれば、サイイド家の名は歴史に刻まれるかもしれない。

 

Gerd AltmannによるPixabayからの画像