<驚きのパリ紀行>イメージで語られがちなパリ、その実態に迫る。

いつかまだ私が留学でパリにやってくる前、テレビで洗濯洗剤だか芳香剤だかのコマーシャルがながれていた。確か、その商品の売り文句は「パリの一流ホテルの香り」だった。重要なのは「パリの香り」ではなくて、「ホテル」の香りである点だ。上手い逃げ方だと、今は思う。というのも、パリに一度でも行ったことがあれば、「パリの香り」という形容詞は、mélioratif(美称的)ではなく、反対にpéjoratif(蔑称的)なものになってしまうだろう。

「パリの香り」は一言では到底表せないほど雑多な香りがする。し尿の臭い、自動車の排気ガスの不快感、誰かの香水の香り、道路の汚れを洗うために撒かれた洗剤の甘ったるい匂い、タバコの煙、時には大麻の干し草を焼いたような匂いが風に混じる。そう、ご覧の通り、パリの香りは決して、全くもって、実に、快いものではない。

パリほどイメージで語られる都市もないだろう。日本人のパリは、オスマン様式の建物、エッフェル塔、バゲットを持つパリジャン・パリジェンヌ…とクリシェのオンパレード。パリはほぼ常に、実態から乖離したイメージをもって語られる。しかし、それはパリの中心部や観光地に限った話で、そもそも日本人の想像上のものでしかないものもある。つまり、日本人がパリをどんなに好きでも、実際のその姿を知っている者は意外と少ない、ということだ。

 

東京都の区部は23区から構成されているが、パリには20区ある。おなじみのルーヴル美術館のある1区から右回りに、とぐろを巻くように1区から20区までが円状に広がっている。その様子はフランスではよくエスカルゴに例えられる。そして、パリを南北に分断するように、東から西へセーヌ川が流れている。川が分断した南側をRive gauche(左岸)、北側をRive droite(右岸)と呼んだりもする。

 

パリは区ごとに個性が強い。何区はおしゃれで、何区は観光客が多くて、何区は治安が悪い、という共通したイメージをパリの人々は持っている。一般的に北側は移民が多く、治安が悪い地域で、西の方は高級住宅街だと言われている。こうした行政的な区分に加えて、カルチエラタンに代表されるように、カルティエ(Quartier)という、明確な境界線のない文化的な地域区分も存在している(パリに長く親しんだ人であれば、どこからどこまでがあるカルティエかは不思議とわかるらしい)。

 

ちなみに観光名所の多くは中心部に位置している。ルーヴル美術館やチュイルリー公園は1区、エッフェル塔は7区に位置している。1〜8区辺りでぶらぶらしていれば、日本人の期待する「パリ」を問題なく経験できることであろう。しかし、それだけではいささか勿体無い。先の匂いの話も絡めて、ちょっとディープでマイナーなパリのお話を、これからしていこうと思う。

今回はパリの人種について少しお話ししよう。パリには様々な人種がいる。観光客が多いのだから、当然といえば当然だが、普通にパリに生活している移民も相当数居る。代表的なのはアラブ人と中国人、黒人である。それ以外にも他のヨーロッパ諸国や、アジアの国々(インド、ベトナム、カンボジア、日本…)からやってきた人々がいる。メトロの車内では様々な言語を聞くことができる。時には、車内で全くフランス語を耳にしないこともある。ふと私はフランスにいるのかと自分に問いかけたくなるが、こうした多様性も含めてフランスなのだから、「まるでフランスではないみたい」と言うのはきっと的外れな指摘なのだろう。

 

こうした人種の分布はある程度地域的に分類することができる。“悪名高い”パリの北側には黒人やアラブ系の人々が多く住んでいる(パリの北側の治安の悪さは、多少は認めなければならないが、最低限気を使っていれば犯罪に巻き込まれることはない。むしろ、人の集まる観光地の方が危険である場合もある)。メトロの2番線の駅、Barbès-Rochechouart(バルベス・ロシュシュアー)のあたり、おおよそ18区を中心として、アラブ系の雑貨店やハマムなどが多くある。お店の看板がアラビア文字で書かれていることもしばしばで、エキゾチックな雰囲気が漂っている。

19区に近くなると、マリやコートジボワールなどのアフリカの国々出身の人々を多く見かけるようになる。色鮮やかな民族衣装を売る店もある。エピスリの通りに面した部分には香辛料キャッサバなど、フランスでは珍しい食材が並んでいたりもする。雰囲気はさながらアフリカである。

少し脇道にそれる。理由はわからないのだが、Barbès-RochechouartからLa chapelle(ラ・シャペル)駅までの通りでは、「ボロ、ボロ」の掛け声と共にタバコのマルボロを売っている人々が見受けられる。

 

実際、北側を除いてもアラブ・中東の文化の影響はパリに色濃く漂っている。それをよく示しているのが、ケバブ屋の存在である。おそらく、パリのどの地区に行っても必ずケバブ屋を見つけることができるのではないだろうか。5ユーロから7ユーロの間で、フライドポテト付きでボリュームたっぷりの、パンに挟まれたケバブを食べることができる。外食が高くなりがちなパリにおいて、安くお腹いっぱいになれるケバブ(日本のそれと比べると野菜は少なめ)は、マクドナルドやサブウェイに並ぶファストフードの代表格である。

 

ベジタリアンの方には、ファラフェルをお勧めする。ファラフェルはそら豆などの豆で作ったコロッケのようなもので、パリでは、ピタパンに野菜等と挟んだものがよく売られている。ケバブとは反対に、こっちは肉を使わず、野菜はたっぷりである。この料理もパリの、レバノンやシリアといった中東地域出身の人々の存在を裏付けるものである。マレ地区のユダヤ人街にはガイドブックに載るお店が数多くある。

 

閑話休題、人種の話に戻ろう。19区、20区、13区とIvry(イヴリー)と接するパリの南側には大きな中国人コミュニティーが存在している。20区のBelleville(ベルヴィル)には多くの中華系レストランやスーパーが立ち並んでいる。ここでは本格的な中華料理がかなり手頃な価格(一品5ユーロ程)で食べることができる。何よりも日本人にとって嬉しいのは、ちゃんとした豆腐を安く買うことができるお店があることだ。13区には、Quartier chinois(カルティエシノワ )という、「中国人の」という形容詞を冠したカルティエがある。こうした地域の街並みは中国の一都市と言っても過言ではない。また、20区やQuartier chinoisには多くの中国人娼婦が居るため、中国系のマフィアが裏にいるのではないかと現地のフランス人たちは推測しているが、定かではない。

 

ちなみに、パリに住む中国人は、こうした移民のコミュニティーの中でも、さらなる差別にさらされたり、暴力や犯罪のターゲットにされたりすることが多く、弱い立場に立たされている。そのため、フランス政府へ保護を求めるデモを度々起こしている。

 

人種一つをとってみても、注目すべきことは多いが、それでもこれは日本人の知らないパリの様々な側面の、ほんの一つにすぎない。パリ観光は美術館巡りもいいが、ここはひとつ、あてもなくふらついて見るのもいいだろう。多くの驚きが待っているはずだ。

メトロも深夜になればこの有様だ。

しかし、パリを散策する上で気をつけなくてはいけないのは…トイレである。パリには驚くほどトイレが少ない。日本と違って、駅にはトイレがないし、コンビニのトイレを借りるということもできない。公衆トイレ(何かしら故障していることが多く、大抵汚い)はあるものの、極端に数が少ない。パリはいい匂いではない、と言った主な原因がここにある。深夜酔客がメトロや路地裏で放尿しているのは珍しい光景ではない。大人だからと言って油断してはいけない、くれぐれも気をつけるように。

 

(文・板場匡史)