イギリス。サッカー(フットボール)、フィッシュ&チップス、王室、、、名前を聞いて頭に浮かぶものはいくらでもあるだろう。そんな国を構成する一つの国(変な言い回しではあるが)、イングランドに僕は4月から滞在している。観光や文化の情報など、ネットを少し漂えば日本語でいくらでもでてくるところで、それでも新たな発見は日々生まれる。今回はそんな国で感じた、「差別」について話していこうと思う。
昔から続く黒人差別や、コロナ禍でさらに加速したアジア人差別、そして性差別や障がい者差別。今の社会には両手で数え切れないほどの差別が存在する。僕がイギリスに到着した2021年4月は特に現地でアジアンヘイトの話題が熱を持っていた時で、行く前は親や友人に幾度となく心配された。事実、僕自身も行く前はかなり心配で関連する記事等をよく読んだし到着してすぐは周りに対してかなり警戒心を持っていた(無論海外にいるときは基本的に警戒を完全に解くべきではないが)。
しかし結論から言うと、こちらに来てから明らかに差別的な言葉を投げかけられたり暴行や盗みにあったりすりことは一度もなかった。危険を感じることも全くなく、毎日を安心して過ごせていると言える。
だがしかし、これはイギリスに差別が存在しないと言いたいわけではない。むしろ、今回の留学で差別ははっきり存在することが認識できた。
僕がその決断に至るまでに起きた事例をいくつか紹介したい。
まずは、ロンドンで観光をした時のこと。ロンドンには大英博物館含め数多くの博物館や美術館がありコロナ禍でも連日多くの人が訪れている。僕もそれらを目当てにロンドンを訪れた。僕が訪れた内のいくつかで何らかの対策のため入場時に荷物検査が行われていたのだが、その検査は全員に対してではなく「ランダム」に選ばれた客に対して行われるものであった(大英博物館では全員に対して行われていた)。そして、全ての場所で僕はスタッフに呼ばれ荷物を確認された。僕の前後にいた白人の人たちの荷物がチェックされることはなく、僕だけが引き止められた。もちろん僕が確認できたのは前後2.3組程度でありこれが全くの偶然である可能性もないとは言えない。しかし、一つの美術館では入り口を通った瞬間から係員と目が合いそのままチェックされることもあった。
そして、通っていた学校で担当のイギリス出身の先生と話していた時のこと。数ヶ月前の話になるので細かい文脈は覚えていないのだが、アジア、特に日本と中国の話をしていた時に先生が
「彼らの顔ってこうでしょ」
と言いながら両手で目を引っ張りつり目を作る仕草をされた。僕個人に向けてされた行動ではなかったがあまりの驚きで一瞬時が止まったのを覚えている。もちろん先生の表情には何の差別的意図もなく、まるで
「日本の有名な食べ物は寿司と天ぷらだよね」
とでもいうような調子であった。他にもこの先生は
「もうこの国に差別はないよね〜」
と言ったこともあった。
確かに彼らからすれば差別は存在しないのかもしれない。しかしながらそれは社会的優位に立つものから見た世界での話であり、こちらから見れば差別に当たるものはいくつもある(一つだけ付け加えておくと、この先生は僕に在学中とてもよくしてくれかなり良い関係を築けていた)。一つ目の例も偶然の出来事かもしれない。しかしこれを偶然で片付けていいほど現代社会で人種問題は進んでいない。
そしてもちろん、これを見てそんなのは差別のうちに入らないと受け流す人も少なくないだろうし、そんな事を全くしない人だって数多く存在する。だが社会として見ると程度に差はあれどまだまだ潜在的な差別意識はあるのだ。
それでは事実、社会として彼らはアジア人を敬遠したりすることはあるだろうか。驚くべきことに、彼らは本気で僕らアジア人を受け入れているしどんな形の差別にも反対の意思を示している。しかし自分達が差別的な行為をしている事に全く気づいていない。つまり、自分達と対等な関係として接しながら同時に差別的行為をしているのである。そして、この二面性の原因の一つには僕たちが彼らのそういった言動を受け入れている部分があるだろう。僕たちが受け入れてしまっていることで彼らは差別的言動をしていることに気づかないのだ。
僕はこの奇妙な二面性がどうしても好きになれなかった。友人も多くはないが作ってきたし出会った人はみないい人だった。だからこそ教養もあり礼儀も正しい人たちから放たれる無自覚の差別的言動に胸がモヤモヤした。
こういった場面に遭遇した際どういった行動をとるか、どういった印象を持つかは結局のところ個人個人に委ねられるだろう。取り止めのないことだとして受け流すのも個人の関係上では別に悪くないだろう。が、僕は今回その言動に対して何も言えなかったことを後悔している。彼らの行動は差別意識から来るものではなく無知からくるものであるのでどこかで誰かが伝えないときっとまた別の機会で同じことを繰り返すはずだ。無知は罪ではないが、やはり無知は罪を生んでしまう。その刃を折らずにそのままにしてしまったことは深く後悔している。その刃は知らず知らずに他の人を刺すかもしれないし有事にはその手にはっきりとした意思を持って握られるかもしれない。
また、振り返って日本でも同じことが起きてないか、そして自分はどうか考えみるとどうだろうか。きっとまた何か発見があるはずだ。そして最後に一つ、今回伝えたのはあくまで一つの面であり現実はもっと複雑である。そこへももっと思いを巡らせてみてほしい。
これ以上踏み込むと終わりが見えなくなってしまうので歯切れの悪いところではあるがここで筆を置くことにする。
(文・坂田 諒之介)