ランドマークの “spire” のほど近く。
メインストリートから一本裏道に入ったところにある、安さが売りのスーパーマーケット。
I’m looking for something Irish to bring back home for my friends.
友達にお土産であげるのに、何かアイルランドらしいものってありませんかね。
私は隣にいた品の良い老婦人にこう声をかけた。
現地人に寄せたような、紺のダウンジャケットにジーンズ、赤いニット帽という出で立ち。
日本語とアメリカ英語の混ざったようなアクセントの英語。
話しかけられた女性はこの珍妙な質問者とその質問に別段驚いた様子もなく、少しの間考える素振りを見せた。
どうやら彼女はそれだけで私の意図を理解してくれたらしい。
This is really good! I like this. Oh, but this isn’t Irish…
これとっても美味しいのよ!私も好きなの。あら、アイルランド製じゃなかったわ…
私たちはふたりでせっせと棚にあるお菓子を物色した。
そうして目の前のスナックを手にとっては、ああでもない、こうでもないと言い合った。
互いに知らない者同士。
スーパーでのこのちょっとしたやり取りが、老婦人の心優しさが、私にはとても温かく感じられた。
「長老たちがいってたけど、冷たい北風がシャドウ族の猫たちの上に吹いてきて、心まで冷たくしちゃうんだって」
『ウォーリアーズ1ファイヤポー、野生にかえる』、エリン・ハンター作、金原瑞人訳、小峰書店
こどものころに読んだこの一節は、幼心にどこかもっともらしく聞こえた。
風に晒された人の心も、シャドウ族の猫たちのように冷たくなってしまうのではないかと思った。
心の奥底に眠っていた小さい頃の記憶が、ふとしたときに蘇ることがある。
縁もゆかりもない、ただ憧れと好奇心をたずさえて行った島国で、私はこの猫たちの物語に再会した。
しかしそれは予期せぬ形での再会だった。
アイルランドの気候は典型的な島の気候だ。
一日の中でもコロコロと天気が変わり、雨風は日常茶飯事。
傘をさすのも馬鹿らしくなってしまう。
鉛色の空の下、「シャドウ族の猫たち」の話が思い起こされた。
そして私はひとりで身構えた。どこへ行くにも、自分の周りに防衛線を張っていた。
もしそれが目に見えたら、私の周囲はきっとスパイ映画に出てくるレーザートラップのようだったろう。
知らない土地で傷つくのが怖かったのだ。
しかしシャドウ族の猫になっていたのは、本当は私の方だったのかもしれない。
レーザートラップのスイッチが切れたのは、実に3度目のアイルランド旅行でだった。
それはちょうど新型肺炎が欧州でも流行り始めた時期だった。
こんなときに旅行なんて身勝手だろうか。
見た目のせいで何か嫌な思いをするのではないか。
心の中は晴れなかった。
しかしそのわだかまりを取り払ってくれたのは、アイルランドで暮らす私のもう一つの家族と、現地の人々の優しさだった。
家族は「好きなだけアイルランドにいればいい」と、徐々に感染が広まっていた日本へ帰ろうとする私を半ば強引に引き止めようとした。親族の集まる食事会にも招かれ、アイルランド流の「ディスカッション」を披露された。
ある土産物屋の警備員はわざわざ自分のスマートフォンを取り出し、「飛行機は毎日動いているから大丈夫だ」と言ってくれた。そして彼もまた、帰国便が欠航になっても泊まる場所のことは心配しなくて良いと言ってくれた。
それまで気づかなかったアイルランドの人々の優しさが、私の心の中にじんわりと染み入ってきた瞬間だった。
今…
あのスーパーで出会った女性はどうしているだろうか。
土産物屋の人の好い警備員は元気にしているだろうか。
家族とはいざ会うと衝突することもあるのに、会えないとやはり寂しい。
家の外ではイチョウの木が風に吹かれてなびいてる。
一歩外に出れば、きっと私の髪もなびくだろう。
そしてスマートフォンを片手に、写真を撮る気満々のお父さんが言うのだ。
You always do this!
いつもこうする!
彼は無い髪の毛をかきあげる仕草をして見せる。
風はどこからともなくやってきては、消えていく。
お父さんとのコントのようなやり取りができる日もまたいつかやってくるだろう。
その時は真っ先にお父さんと妹に「ただいま!」と言うのだ。
土産物屋やスーパーへもまた行こう。
きっと素敵な出会いが待っているから。
(文・小林 かすみ)