過去に魅せられて~レバノン内戦で放置された建造物の今

タラーブルスの鉄道駅。屋根の崩れた駅舎と野ざらしの車両。

ベイルートの街中を歩くと、落書きだらけで骨組みがあらわになった建物や、今にも崩れ落ちそうな古びた邸宅が目に映る。使われていないが、その費用から取り壊しとも保存ともならないのだ。このように放置された建造物はレバノン国内で多数見られる。その中には内戦の影響で用途を失ったものも多い。ではこれらの建物は、一重に内戦の傷を伝えるだけの負の遺産なのだろうか。むき出しの鉄骨や欠けても尚光り続けるステンドグラスは、人々をひきつける新しい魅力があるようだ。1975年にはじまるレバノン内戦をきっかけに放置された建物。その後に見せる違った輝きに考えさせられる。

内戦の傷跡残る映画館、生き返る

・The Egg (Beirut) 

ベイルートはダウンタウン、そのど真ん中にある黒くて丸い巨大な物体。名前の由来はその形から明らかである。The Eggは街の開発が進む中で建てられた映画館だった。大きな楕円の中の座席は、ローマ劇場にあるような階段状。当時は最新の映画館であり、ベイルートっ子たちに愛された。

The Egg
客席

 

内戦によって映画館の運営は終了。街が東西に分断し争った際、”グリーンライン”と呼ばれるボーダーがそれぞれの地域を隔てた。図らずもこの境界線の近くに位置したThe Eggはその被害から逃れることができず、建物の一部は崩壊。ところどころに銃弾の跡も目立つ状態になった。

 

現代に生きる人びとの想像力を刺激、新しい時代がここで生まれる…?

そんなThe Eggは、21世紀のベイルートの人々によって、新しい役割を与えられているようだ。安全上の問題から取り壊しの話が浮上するも、地元からの反対により危機を免れてきた。レバノン国内外からアートに関わる人材が集まるベイルート。壁面が少し崩壊している個所もあるが、劇場の部分は残っているため、その廃墟的魅力にひかれた人々により小さな展示会などが行われている。

さらに2019年10月にはじまった過去最大規模ともされる反政府プロテストで、The Eggは本領を発揮することに。普段は立ち入り禁止状態だったこの建物にデモ隊が突入。その屋根に登りレバノン杉の旗を振りかざした。

建物内に描かれた、プロテストの象徴”ثورة”(サウラ・革命)の文字
プロテスト開始数日後、The Eggの上で旗を振る人々

汚職の蔓延した政府に不満で一杯の人々。国民に利益のない古い体制を続ける政治家に怒る若者たち。暴力的手段を用いずに団結する兆候が広まっていたプロテスト開始当初、人々は今後のレバノンに必要なこと、政府が変わらなければいけないことを話し合った。学者や弁護士を呼びデモ参加者たちと講義を行った。The Eggもその中心会場の一つである。ただ声を荒げるだけでは何も変わらない、アカデミックに対抗しよう。50年前、街の人に愛された場所が、現代の若者たちが未来を考える拠点となったのだ。

オスマン帝国時代からの機関車にはせる思い出

・Tripoli Railway Station (Tripoli)

 2020年、レバノンには鉄道がない。あるのは国内のところどころに見られる駅舎と、線路。その中で、比較的大きく、実際の車両も見られる駅が北西部タラ―ブルスにある。

駅舎に停められたままの列車
駅舎

 

はじまりはオスマン帝国時代。国内に鉄道が敷かれ、タラーブルスもその一部に。1911年には隣国シリアの街ホムスとつながった。第二次世界大戦中に首都ベイルート間のレールも完成。一時フランスの管理下になるも、1943年の独立とともに鉄道も国有化、その後30年動き続けた。

過去の思い出と、新しい楽しみ方

内戦開始とともに列車の運行は停止。その後再開することはなかった。かつてシリアからレバノン、ベイルート経由でさらにハイファまで、一帯を繋ぐルートだったこの鉄道。レバノンからイスラエル・パレスチナに入ることは出来ず、その政情からシリアにも外国人は入国が困難な今となっては、残された車両が秘める旅の記憶に思いをはせるばかりである。

駅舎に描かれたグラフィティ
駅舎に描かれたグラフィティ

一方、歴史を物語るその駅舎と列車は人々を引きつけ続けている。19世紀にフランスで作られた機関車も、今ではよじ登って構造を観察するもよし、フォトジェニックを狙うもよし。保全のための活動も行われており、地元の若者やときおり訪れる観光客の心をつかんでいるのは間違いないようだ。何棟かに散らばる駅舎の壁は、地元のグラフィティアーティストたちのキャンバスとなり枯れた駅に彩りを与えている。

近代建築の巨匠による未完成の異空間

・Rachid Karami International Fair (Tripoli)

タラーブルスの住宅街の中に、ぽっかりと切り取られたように楕円形の広場がある。かつての首相の名前がつけられたこの場所は、世界で最も大きい国際展示場5つに数えられるという。1950年代後半に建設が始まったこの展示場は、様々な国や企業を集めフェアを行うための施設。タラーブルスの商業的役割の構築や経済活動を盛り上げる計画の中心であった。しかし内戦の開始によって工事は中断される。

Rachid Karami International Fairにはとっておきの特徴がある。その建築を任されたのは、世界的建築家、オスカー・ニーマイヤー。ブラジルの首都ブラジリア建設の際、公共建築のデザインを行った人物であり、当時のモダニズム建築の代表の一人である。彼の召喚から、その特徴である巨大で機能的な建築物がちりばめられた広場はタラーブルスの活性化への気合が伺える。

残されたものと志を受けつぐ

内戦後、展示場を保護するための団体が立ち上がり補修や保全を開始。現在ではブックフェアが行われたり、地元の人々の集まる公園になったりしている。だが国際的な展示会を行いタラーブルスに明るさをもたらす、という当初の目的は果たし切れていないよう。未完成のように建物の構造が見えるものや、補修不足のため安全性を欠くなど課題は未だ残る。壮大でファンシーな建築物が並ぶ緑豊かな空間、本来の展示場としても息を吹き返す日が訪れることを願う。

施設内は緑であふれる

放置された建物が魅せるものとは…

内戦によってその役割を中断せざるを得なかった建築物たち。内戦終了後30年を経た今、これらはその容姿や用途を変えながらも、人々に愛され続けているようである。一見暗い過去を抱えているようにも感じる”放置された建物”。しかしその切なさがゆえに、さらなる輝きや魅力が人々を惹きつけているのかもしれない。過去の産物は新しい時代で生き続けるのか、それともその糧に、希望になるのだろうか。

タラーブルスに残された車両

 

〈参考〉

معرض رشيد كرامي الدولي http://www.lebanon-fair.com/ar/index.php

Beirut.com “The Egg” https://www.beirut.com/l/32809

 

(文・大竹くるみ)

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ごちゃごちゃした街と人混みが好き。レバノンに語学留学中、国内史上最大規模の反政府デモ、カルロス・ゴーンの逃亡、国のデフォルトとCOVID-19パンデミックに見舞われたけど、そんなレバノンの荒れたすてきさを伝えたい。