「おやつ」 ー2018年10・11月月替わりエッセイ「食べる」第1弾ー

 

人々は、ものを食う。

それはこの世界の誰もが持つ共有事項だ。

しかし、何のために食うか、

そこには2つとない物語が見え隠れする。

 

 

晴れたカンボジアのプノンペン。

スタッフが白い歯を見せながらやさしく笑う、白く新しいゲストハウス。
ここにはカフェがついていて、一人朝ごはんをそこで食べる。

味もおいしく、サービスも素敵だ。
でもちょっと心の内を明かすなら、僕は少し孤独だった。

 

旅先の飯というのは、孤独であることが多い。
孤独のグルメのように、一人その味に感動するのもよいが、
しかし誰かと食を共にできないというのは、どこか少し、さみしい。

 

そんな記憶から消えてしまった朝ごはんを食べ終え、

砂塵が舞いバイクと人々の声があふれるまちへ、ふらふらと散歩に出かける。

 

昨日は路地にひっそりとたたずむ、
緑のツタの絡んだ古本屋を見つけ、持っていた本と新しい本を交換した。

そんな風に、新しい発見への期待と孤独のさみしさを踏みしめながら、歩く。

 

とある路地に差し掛かると、
頭にスカーフをまいた、花柄の服を着たおばあさんが、小さなお店を開いていた。

新たなストリートフードを見つけると食べないと気の済まない僕は、いつも通りそのお店に近づいて行った。

 

そこで売っていたのは、
「白い液体につけて食べるたこ焼きみたいなやつ」
とでもいえばよいだろうか。

不思議そうに見ていると、
小さな青い椅子に座るサラリーマン、おばさん、お兄さんが席を空けて、
両手を広げて迎え入れてくれる。

外国人だからと大げさにするでもなく、
恥ずかしがるでもなく、
ものすごく自然に。
まるで子どものころ、兄たちの遊びに混ぜてもらった時のように。

 

おばあさんは、ただやさしく微笑んでいる。

 

とりあえず3個ください。
とジェスチャーで伝えると、5個出てきた。

見上げると、その微笑みの中に、「サービスね」という言葉が浮かんでいる。

 

ああ、僕はこの世界の片隅の、この小さな椅子の上にいていいのだ。と思う。

 

この誰かも知らないおばあさんが開くこの小さな店で、

この誰かも知らないお兄さんとおばさん、そしてサラリーマンの両手の中で、

この得体のしれない、甘くちょっぴりからいおやつを食べ、僕は生を噛みしめる。

 

 

旅とは、おやつのようなものかもしれない

でもそのおやつが、
どれだけこの生に、彩りをあたえてくれるだろうか。
生きていていいのだと、両手で包んでくれるだろうか。

 

その後、大学の授業でこの食べ物を紹介する機会があって、名前を知った。

 

けれど、なぜだろう。
再度プノンペンを訪れた僕は、
相変わらず、「白い液体につけて食べるたこ焼きみたいなやつ」を求めて

路地の中に、あのおばあさんを探している。

 

About 関谷昴 3 Articles
英語専攻7回生4年生。多磨のシェアハウス「たまりば!」をやってる人。日常至上主義。チャロとブルーハーツと言葉とストリートフードが好き。訪れた国:42か国なう