人々は、ものを食う。
それはこの世界の誰もが持つ共有事項だ。
しかし、何のために食うか、
そこには2つとない物語が見え隠れする。
晴れたカンボジアのプノンペン。
スタッフが白い歯を見せながらやさしく笑う、白く新しいゲストハウス。
ここにはカフェがついていて、一人朝ごはんをそこで食べる。
味もおいしく、サービスも素敵だ。
でもちょっと心の内を明かすなら、僕は少し孤独だった。
旅先の飯というのは、孤独であることが多い。
孤独のグルメのように、一人その味に感動するのもよいが、
しかし誰かと食を共にできないというのは、どこか少し、さみしい。
そんな記憶から消えてしまった朝ごはんを食べ終え、
砂塵が舞いバイクと人々の声があふれるまちへ、ふらふらと散歩に出かける。
昨日は路地にひっそりとたたずむ、
緑のツタの絡んだ古本屋を見つけ、持っていた本と新しい本を交換した。
そんな風に、新しい発見への期待と孤独のさみしさを踏みしめながら、歩く。
とある路地に差し掛かると、
頭にスカーフをまいた、花柄の服を着たおばあさんが、小さなお店を開いていた。
新たなストリートフードを見つけると食べないと気の済まない僕は、いつも通りそのお店に近づいて行った。
そこで売っていたのは、
「白い液体につけて食べるたこ焼きみたいなやつ」
とでもいえばよいだろうか。
不思議そうに見ていると、
小さな青い椅子に座るサラリーマン、おばさん、お兄さんが席を空けて、
両手を広げて迎え入れてくれる。
外国人だからと大げさにするでもなく、
恥ずかしがるでもなく、
ものすごく自然に。
まるで子どものころ、兄たちの遊びに混ぜてもらった時のように。
おばあさんは、ただやさしく微笑んでいる。
とりあえず3個ください。
とジェスチャーで伝えると、5個出てきた。
見上げると、その微笑みの中に、「サービスね」という言葉が浮かんでいる。
ああ、僕はこの世界の片隅の、この小さな椅子の上にいていいのだ。と思う。
この誰かも知らないおばあさんが開くこの小さな店で、
この誰かも知らないお兄さんとおばさん、そしてサラリーマンの両手の中で、
この得体のしれない、甘くちょっぴりからいおやつを食べ、僕は生を噛みしめる。
旅とは、おやつのようなものかもしれない
でもそのおやつが、
どれだけこの生に、彩りをあたえてくれるだろうか。
生きていていいのだと、両手で包んでくれるだろうか。
その後、大学の授業でこの食べ物を紹介する機会があって、名前を知った。
けれど、なぜだろう。
再度プノンペンを訪れた僕は、
相変わらず、「白い液体につけて食べるたこ焼きみたいなやつ」を求めて
路地の中に、あのおばあさんを探している。