ユーラシア大陸陸路帰国旅~マレーシア編~

はじめまして、マレーシア語専攻2016年卒のまれやままりです。

今回マレーシアから日本まで飛行機を使わずに一ヶ月半かけて帰国した時の話を書きたいと思います。

 

① マレーシア編

 

留学中のことや旅の準備のことはよく話題になるけれど、留学が終わった後の話はあまり聞かない。お利口さんなのかみんな真っ直ぐお家へ帰ってしまう。帰りたい場所があるのはいいことである。

それはそうと、勉強や仕事などで意外とまとまった時間が取れないのが留学だ。帰るときこそたっぷり時間を取って、日本ではなかなかできないことに挑戦できるのではないだろうか。

 

海外だからこそできることということで、私は留学先のマレーシアから陸路で上海まで行きフェリーで日本へ帰ることにした。

大学に入って以来、陸路で国境を越えることが個人的な趣味になっていた。受験生のころ、新婚旅行で世界中を4年くらいかけて旅している夫婦のサイトを息抜きに見ていたのだが、その時から陸路で異国へ飛び込むことにぼんやりと憧れを抱いていた。せっかくユーラシア大陸にいるのだから思う存分世界各地の国境を味わいたい。そんな下心で私の留学生活後編はスタートした。

 

前置きが長くなってしまったが、この連載では国境と移り行く景色の魅力について伝えていけたらなと思う。自分の趣味全開になってしまわないよう所々有名な観光地も交えつつ、ただ真っ直ぐ帰るだけではない留学の終わらせ方を提案していきたい。

 

旅について書く前に実際に通ったルートを説明したい。

クラアルンプールを出たあとマレー半島東海岸を北上し、ローカルバスと徒歩でタイのスンガイ・コロへ渡り入国。

駅からバンコク行きの夜行列車に乗り込みタイ深南部を北上、バンコクからまた夜行列車を乗り継ぎ北の古都チェンマイへ。チェンマイで少し観光したあと、高速バスでさらに北を目指し、タイ最北端のメーサイ。メーサイはタイとミャンマーの国境の町で、日帰りでミャンマー側のタチレイにも行った。

メーサイからはメコン川に沿ってチェンコンまで行き、渡し船でメコン川を渡り対岸のフエイサイからラオスに入国。フエイサイからルアンパバンへスピードボートで移動。

ルアンパバンから寝台バスで1泊2日かけて中国の雲南省昆明へ、昆明からローカル線に17時間揺られて四川省成都へ。四川省では九寨溝とチベット族の古い町をいくつか観光した。そのあと成都から寝台列車に1泊2日揺られて上海へ。観光したあとフェリーに乗り込み2泊3日海の上で過ごし大阪から日本に帰ってきた。

 

 

何が言いたいかというと、とにかく量が膨大なのだ。とてもひとつの記事ではまとめられない。予定では8回記事を投稿すれば日本に帰り着く。長旅になるがお付き合い願いたい。

今回はマレーシアとタイの国境の直前まで書くことにする。

 

 

8月、大学で留学生活を終えるための諸々の手続きを済ました私はバックパックを背に旅立った。ラマダン明けの休暇を控えており、学食も閉まっていてひっそりとしている。

 

大学の最寄り駅から電車を乗り継いでマレー半島東海岸へ向かうバスターミナルへ。バンコクとかマニラといった他の東南アジアの大都市と比べて、クアラルンプールは都会だけどこじんまりした町だ。外国人も多いがどちらかというとビジネスで来ている人やその家族が多い。つまり留学生として異国に暮らす自分にとっても居心地が良い。

町は急速に変わっていく。新しい建物が雨後の筍のように建っていく。今の日本ではなかなか見られなくなった、勢いのある新興国独特の熱気だ。東海岸へ向かうバスのあるプドゥラヤ・バスターミナルもそんな建物のひとつで、私がはじめてマレーシアを訪れたときは暗くてジメジメしていたのに、今では清潔で日本の新しくできたターミナル駅と変わらない。

 

アジアの猥雑とした情景が失われつつあるクアラルンプールもそれはそれで悪くなく、むしろどこかノスタルジックな情緒すらあったが、新しい土地へ早く行きたかったので東海岸の町クアンタン行きの長距離バスに乗り込んだ。

 

クアラルンプールを離れるとプランテーションの緑が多くなる。かつては原生林がこのあたり全域を覆っていたのだろうけど今では同じような木々が大地の向こうまで並び立っている。熱帯の大自然は広大なアブラヤシやらゴムの木やらのプランテーションに変わってしまった。

名前も知らない内陸の小さな町と広大なアブラヤシのプランテーションが交互に後ろへと流れていく。お昼に出発したので夕方になる前にはクアンタンに到着した。

 

マレー半島東海岸はマレー系住民が特に多くて西海岸と比べるとイスラーム色が強くなる。漢字やタミル文字の看板が減り、標識はジャウィ文字というアラビア文字で表記したマレー語が目立つ。ラマダン期間中、ムスリムたちは日が沈んだあとに夕食を食べるのだが、夕方になると彼らのために食べ物を売る夜市が町の広場に出る。炊き込みご飯とカレーを買ったが日が沈むまで我慢できなかったので宿に帰ってすぐに食べてしまった。

 

翌日からはマレー半島の東海岸の町を北上していく。クアンタンからクアラ・トレンガヌ、クアラ・トレンガヌからコタバル。東海岸の町はどれも植民地時代から変わらない昔ながらのマレー半島の風情を保っている。

 

写真はクアラ・トレンガヌの中華街。西海岸ではラマダン期間中に華人の商店が閉まっていることはないが、ここらへんではマレー人に合わせているのか営業していない店が多い。KFCに入ったが、こっそりご飯を食べていたマレー人女子学生がマレー人のおばちゃんに軽く注意されているのを見た。

東海岸は北へ行くほどイスラームの香りが強くなる。コタバルでは普段は24時間営業のマクドナルドが断食中店を閉めているのを見かけた。

 

町のあちこちに点在しているモスクはどれも厳かで、流れるクルアーンの詠唱が昼下がりの街並みに溶け込んでいる。特別なにかがあるわけでもない。ラマダン月なので昼間は食べ物もない。私には分からない神の言葉だけが町に溢れている。悠久の時はアジアの田舎町に存在している。気怠く退屈で、このじりじりと焼け付くような日差しや暑さはいつからこうでいつまで続くのかわからない。

しかし何も変わらないようで、熱帯の厳しい雨風や日差しは少しずつ建物を蝕み人々の体に老いを刻む。かつて入植者が母国の町並みを真似て作ったコロニアル建築もひび割れ黒ずみ、劣化した装飾だけが当時の壮麗さの面影を残している。モスクから通りに流れる祈りの言葉だけが今も昔も変わらない。

私は1週間かけてマレー半島の東海岸を北上した。明日の朝早くコタバルを発ち、タイ国境を目指す。

 

(文・まれやままり)