海と故郷と鷗

 海と故郷と鷗

 

 「あなたの出身地はどこですか?」-こう聞かれて答えに窮する人はあまりいないだろう。なぜなら、自分が生まれた場所の地名を言えばいいのだから。では、「あなたの故郷はどこですか?」―そう聞かれたら、なんと答えるだろう。

 「故郷」。これは日本語特有の表現で、他の国の言葉に訳しずらい言葉なのだそうだ。素敵な日本語だ。だが、私は、故郷はどこか、と聞かれたら、焼きたてのパンにバターを塗りながらきっとこう答えるだろう。私が自信をもって故郷と呼べる地はないのです、と。

 私がうまれ育ったのは、神奈川の港町、小田原だ。だが、自分の本当の家は、信州の田舎にある。一人っ子なので、泣いても笑っても、江戸時代から代々続くその家屋、蔵、田畑を子孫に継いでいかなければならない。幼いころから「あなたはこの長野の家の跡取りだから」と刷り込まれてきた私は、ずっと過ごしているこの小田原の地を長野に帰るための中継点のように感じ、どうしても故郷と感じることができない。馴染めないのだ。家から一時間かかる私立高校に、ムリを言って懇願して通わせてもらったのも、地元の高校に行きたくなかったからだ。おかげで家計を火の車にしてしまった。ずっと、小田原から逃げて回っていた。

 

 そんな自分の気持ちを変える、些細な出来事があった。

 

 七月某日、朝八時、少し前。のんびりと洋服を選んでいた私の耳に飛び込んできたのは、突然の雨音だった。おかあさん!雨降ってきた!喜び勇んで大声で伝えると、下の部屋から「知ってるわ」と半ばあきれたような声が返ってきた。「二階の窓は全部閉めておくね!」と叫んで、部屋中を駆け回る。といっても借家のうちには駆け回るほどの広さはなくて、窓も三枚閉めるだけだったのだが。私は昔から、雨が降り出す瞬間が大好きだ。雨が降り出す前の大地の香り。ぽつっと感じる水滴。そして、一瞬でザーッと降り出した時の、すべてが雨に屈服する刹那。まるで幼い子供が深い森の中でカブトムシを見つけたかのような抗いがたい興奮を感じる。

 「この雨じゃあ、すぐに止むね。」そう言った母の予想を裏切り、雨はどんどん強さを増し、30分後にはたたきつけるような雨になっていた。今日は、久しぶりに大学の図書館に行って、マニプリ語の小説を借りようと思っていたんだけどなあ。最寄り駅まで、自転車で25分もかかるので、雨の日は、どうも引きこもりの性分が顔を覗かせがちになる。どうしたもんじゃろのう、と朝ドラヒロインのように呟いてみる。そこに降ってきた、「ねえ優、車でお父さん送ってくれない?」との提案に、私は二つ返事で応じることにした。

 小田原城を横目にみながら、父を職場まで送り届ける。二人でどこかに出かけるときは、BGMBzと決まっている。お城とBz、なんかあわないね。あ、提灯祭りの季節かあ。もう灯っている?今夜自転車で見に来ようかなあ。父は基本無口な人なので、だいたい私が一人でしゃべりっぱなしで二人の時間は終わってしまう。今度こそ、お父さんにしゃべらせよう。そう決意して、父の職場を後にする。

 

 自分の中でどういう衝動が起こったのかはわからない。雨の魔力だろうか。突然、教えてもらった帰り道を全部無視して、どこか遠くへ行きたくなってしまった。通ったことのない曲道を発見したので、方向指示器を出して、左に曲がる。だが、行きついたのは、よく知っている小田原駅のそばの道だった。よし、こうなったらやけだ。家とは反対方向に行ってやる。そう決意して、西に伸びる道をひたすら真っ直ぐ走る。初めての一人ドライブだった。道中、懐かしい景色がたくさん通り過ぎる。あ、ここ幼稚園の時に毎週のように連れてきてもらっていたラーメン屋さんだ。このレストラン、おばあちゃんとよく行って、ナイフとフォークの使い方を仕込まれたっけ。以前はしょっちゅう来ていた道。変わらない景色。なぜか、自然と笑みがこぼれている自分に驚く。

 相変わらず雨が強く打ち付ける中、10分ほど走ると、忽然と海が姿を現した。道路の真下には、太平洋の海原がどこまでも広がっている。海なし県から来た人がこれを見たとしたら、泣いて喜ぶんじゃないか。目を細めると、地平線がうっすらと弧を描いて延々と伸びている。右手には切り立った崖、左手には相模湾の海。「雄大」という言葉がぴったりな景色である。

 だが、自分にとって海は珍しいものではない。実際、うちからは歩いて3分で海に行ける。これは測ったから本当の話だ。小学校の教室からは、相模湾の海原が見渡せた。刑事ドラマにはまっていたあの頃、海に浮いている物を見つけては、ヒトじゃないかと物騒な話をするのが常だった。近所には海に関係した仕事を生業とする人も多い。小田原の日常生活には海が寄り添っていて当たり前なのだ。そんな景色を見るよりも、自分はそびえたつ八ヶ岳を眺めるほうがずっと感動する。

 何の気なしに曲がった分岐点の先にあったのは、JR根府川駅だった。開けたスペースに水色の軽自動車を停めて、降りてみる。無人改札がある待合室をのぞくと、JRの線路の工事をするおじさんが、コーヒーを片手に座っているだけだった。時刻は930分。トーキョーなら、まだ通勤時間帯だというのに、朝の根府川駅はほぼ無人だ。海抜55メートルにあるここは、まさに「潮騒の駅」という言葉がぴったりだ。線路沿いに歩いていくと、思わず、「ほわっ」という声が出た。眼下に広がるのは、海と崖と線路と赤い花。雨が上がったばかりの灰色の空と奥行きをもってどこまでも広がる海は、もはや境目をなくし、自分の視界に広がるのは、ただ色を失った鼠色のキャンバスだ。…無駄に海に感動を覚えた。日の光を受けて歓声を浴びる「きらきら光る青い海」は自分にはまぶしすぎる。海はこうじゃなくっちゃ。

 地味な太平洋を根府川駅の上から満喫した私は、家に帰ることにした。海抜55mの根府川から、海抜5mの自宅まで、東へ下る道の途中では、相模湾周辺の家々がアリンコのように小さく見えた。自分が暮らしている世界。疎み、疎まれるような居心地の悪さを感じて過ごしてきた小田原の町々は思ったより矮小だ。気持ちがふっと軽くなった。イッツアスモールワールド。こんなに山の上から見たら、自分がどこにいようと関係ない。いま、自分は小田原の地で生きていて、小田原の人々に囲まれて、小田原の海と隣り合わせで暮らしている。自分をここまで育ててくれた、偶然出会ったこの街こそ、「故郷」じゃないのか。それでいいじゃないか。そんな当たり前の現実を突っぱねて、そこから逃げようともがきながら生きてきた自分をみっともなく感じた。ここは故郷ではない、と思い込んできた自分を恥じた。帰り道は、普段なんの感傷もなく通り過ぎる地元の精肉店や駄菓子屋さんがいとおしくてたまらなくなった。

 

 余談であるが、自分は、この夏大きな決断を下した。大学を辞めることにしたのだ。「いつかは去らなければならない」というリミッターと戦いながらも多くを学んだ東京外国語大学。そこでは、いろんな出会いがあった。少し年上とは思えないくらい人生経験を積まれている先輩方。かっこよく生きる真っ直ぐな同期たち。「イエ」さえなければ、と何度も考え、自分が生まれた「イエ」を恨んだこともあった。自分の生きたいように生きられる人が羨ましくて、切ない気持ちになることもあった。「イエ」を継ぐというこの重過ぎる責任を負わせたくなくて、一度は好いた人と別れようと決意した時が一番つらかった。ゼミの教授にも「今でもそんな家の人いるんだねえ」と笑われた。

 でも、自分はこの決定を後悔していない。笑われるかもしれない。かっこ悪いといわれるかもしれない。どんなに悔しいことがあっても悲しいことがあっても、胸を張って、自分の信念に沿って「凛」として生きていく。そう決めたのだ。(凛、って他の国の言葉でどう訳すのだろう、と考えてしまうあたり、まだ外大生である)。必ずしも、お金を持っている人が絶対的な幸福を手にするとは思わない。自然災害にあったら、どんな豪邸もすべて朽ち果ててしまうのだから。「イエ」に縛られてはいても、その状況を最大限に活用して、自分よりも他の人の益を図って、出会う人をさわやかに、笑顔にできる底抜けに優しい人間でありたい。

 このタイミングで小田原という「故郷」を見つけられてよかった。これからちょっとずつ、故郷の町のことを知っていきたいと思う。もう逃げるのはおしまいだ。田舎に帰るまで、しばらく猶予がある。いずれは必ず別れを告げなければならない地。20歳になってようやく見つけた、否、ずっとそばにいてくれたのに自分が認めようとはしなかった故郷、小田原へ少しでも恩返しができますように。今ごろ小田原の海上を呆けたような顔をして飛び回っているだろう白い鷗を思浮かべながら、ささやかな願いを託す長野の空は、今日も夏模様だ。

 

<小田原の海>

 

(文:手塚優希)