雨の日には、窓を大きく開ける。
薄暗い室内に、湿った外気が流れ込む。昼間の住宅街は、ほのかにグレーというより水色がかっていると思う。開け放たれた窓の解放感と、降りしきる雨の閉塞感。そのコントラストに私は安心する。
初めて南米に行ったときもそうだった。
私は、ベッドの上から窓越しに、赤い大地に振る雨を眺めていた。壁を伝って、2階まで土の匂いが入り込んでくる。その匂いはよく知った日本の雨の匂いではない。私は鼻の奥で、そこが異国の地であることを改めて知る。もっとその匂いを深く吸い込もうと、土砂降りの中、窓を大きく開けた。
目の前に現れた窓を、後先考えずにこじ開け、飛び出した私だった。16歳の私を南米になんて行かせるものかと引き留めた父のことを思い出す。彼には心配のし過ぎだと大見得をきって日本を出たものの、私の胸の中は曇っていた。突然、目の前に差し出された世界は大きすぎた。人々。言葉。距離。
雨が弱まる。私をなだめるように、優しく降る雨。晴れたときには強烈すぎるほどに輪郭をきりだされていた世界が、柔らかくかすむ。
故人西の方、黄鶴楼を辞し
煙花三月揚州に下る
人がどこかへ立つときに降る雨は、旅人を俊巡させる。夏を前に熱を帯びる若者。いざいかむ、そういきり立つ彼らを優しくいさめるように、6月の雨が降る。
(文・福島光帆)