「失礼ですが、あなたは日本人ですか?」
昼下がり、コロンビア・エクアドル国境近くの田舎町、小さな食堂の窓際の席、マジックペンで壁に直接書かれたメニューを眺めていたときのことだ。一人の青年が声をかけてきた。
そうですよ、と答えると、彼はぱっと顔をほころばせた。
「ここに座ってもいい?」
「もちろん、どうぞ」
Braulioと名乗った彼はエクアドル人で、ここコロンビアには旅行で来ているのだという。北海道に留学している友人から日本の話を聞くうちに、日本の文化や社会に関心を持つようになった。もちろんアニメや漫画も大好きで、一番のお気に入りはこちらで「Los Caballeros del Zodiaco Omega」と題され放送されている「聖闘士星矢Ω」だそうだ。いつか北海道で雪を見てみたい、渋谷のスクランブル交差点に行ってみたいと語る彼の口調には熱がこもる。
お互いの国の文化について会話が弾み、30分ほど経ったころ。
「きのう、」
それまでマシンガンのように話していたBraulioがやや口ごもりながらそう切り出した。
「きのう北海道の友人と話していたんだけど、今日は日本人にとって大事な日なんだよね」
すぐにはピンとこなかった。「津波」、そう付け加えられてはじめて、彼が3.11のことを言っているのだと気付いた。
「きのう、その友人と一緒に日本のために祈ったんだ」
驚いた。今日が3月11日だという認識はもちろんあったし、私自身3.11、東日本大震災から6年目の節目に際して思うところもあったが、まさかエクアドル人の彼が地球の裏側の国の大震災を記憶しているとは思ってもみなかったのだ。これまでにも外国人と3.11の話をしたことはあったが、こちらが話題に出してはじめて「ああ、あれは大変な災害だったね」となることがほとんどだった。日本のために祈ったなんて、そんなことばを向こうからかけてもらうのははじめてだった。
あれから6年が経った。掲げられた「復興」というゴールへの距離はあとどれほどだろうか。目指すべき「復興」のかたちとはどんなものだろうか。どんなものにしていくべきだろうか。
大地震と津波がもたらし、あらわにした課題は山を成しており、いまだ解決の気配を見せない。けれど、それでも、この3月11日という日を私たち日本人とともに、日本人に寄り添って想ってくれている一人のエクアドル人の存在は、救いではないだろうか。私たちが足を動かし続けるための、小さなエネルギーになりはしないだろうか。
「あなたの国のことをとても尊敬しているし、いつも想っているよ」
地球の裏側からのまっすぐなことばが、多くの人に届いてほしいと願う。
(文・三橋 咲)