文化と啓蒙の発祥地 セルビアの修道院

(引用:Wikimedia Commons)

時代を超えて、セルビア文化に欠かせないものは修道院だ。12世紀から、セルビア全国では、さまざまなキリスト教に関する建物が造られ、バルカン半島の文化と文学、民衆の啓蒙の道しるべのようなところになっていった。それに、宗教にもかかわらず、セルビアの修道院は歴史としても広く知られている。

確かに、町や都市にある教会と比べると、修道院はもっと大きな建物だし、自然にある平和なところに位置されている。なぜかというと、修道院に通っている修道士の訓練のために、静けさが必要だ。毎日、朝早く起きてから、お祈りをし、聖書や他の神聖な文書を読み、穀物と野菜の畑を耕し、新鮮な野菜を採りに行く。そういう生活は他の国にも同じだと言える。

国といえば、セルビアの修道院は、現在の学校や大学のようなところだけではなく、中世セルビア王国国王の遺産所となっていった。キリスト教(特にキリスト正教会)への尊敬のため、その聖なるところを建てた。修道院の外側には、小さな教会と城壁に囲まれ、内側には多彩な壁画が飾られている。それは、中世セルビアの絵画と建築の一例としてみなされている。

この記事のため、セルビアの有名な修道院を3つ示す。

  • ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院
(引用:Wikimedia Commons)

セルビア最古の修道院の一つとしてみなされている。現在、セルビア南部のノヴィ・パザルという町から西北4キロに置かれている。

ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院は、1171年にステファン・ネマニャ大公に建てられた。外側は1171年、内側は1175年に完成された。この修道院は、聖ゲオルギイ(聖ゲオルギオス)に捧げられている。

この修道院は、中世セルビアの教会建築と壁画の最古の一例として知られている。そのため、建築は簡単だ。飾りは貧乏だし、しかも大きさは中心だ。修道院全体は石材で作られ、今までさまざまな災害を受けた。数年前に改造計画が公開され、現在も改造中だ。

  • ストゥデニツァ修道院
(引用:Andrey Andreev)

ステファン・ネマニャ大公が造った第2の修道院。外側は1196年に建造されたが、内側は1208~09年に完成された。大公は1199年に亡くなったので、修道院の完成を見なかった。ストゥデニツァ修道院は、生神女マリヤ(聖母マリアと同じ)に捧げられている。外側では、4つの教会と城壁が囲まれている。それは、生神女聖堂と国王聖堂、聖ニコライ聖堂、不明の聖堂(遺跡として土台が残っている)だ。

建築学の視点から見ると、修道院全体の方は、ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院より、もっと高い文化的水準がある。正面を見ると、壁は豊富な様式に飾れた。それに、修道院に付属している生神女聖堂と国王聖堂は石ではなく、大理石に造られた。

  • ジチャ修道院
(引用:Wikimedia Commons)

13世紀前半に、ステファン・ネマニャ大公の次男ステファン・ネマニッチ国王に創立された修道院。13世紀末、タタール人の襲撃に破壊されてから、14世紀の初めにミルティン国王に再建された。

建物を見れば、修道院の正面は鮮やかな赤色に塗られた。主な丸屋根は、ストゥデニツァ修道院と同じように白い。それに、セルビア文化史の博士ヴォイスラヴ・ジューリッチによると、中世セルビア建築学の金字塔としてみなされているそうだ。ビザンツ帝国の教会建築に基づいたラス派建築のスタイルに建造された。

今のところ、セルビアの代表的な修道院を示したが、セルビア全国でいくつかの修道院もある。次の記事でもう3つの修道院を示し、今度と同じく歴史的な背景を説明したいと思う。