Black Lives Matter!!
今日アメリカで、世界で叫ばれる “黒人の命の価値”。彼らは奴隷制度、そしてその売買というビジネスが広まる時代にアメリカ大陸に連れてこられて以降、その解放後も尚、不平等に、差別に、苦しんでいる。
21世紀の私たちは、いまだこの問題を抱えて生きている。そんなの狂っている。確かに社会システムの中に染み付いた差別を取り払うのは難しい。それに、人々の心にある、もしかすると無意識の差別に気づくのも容易ではない。しかしこれらは、この状況を見過ごす理由にはならない。
肌の色によって、他のいかなる違いによってももちろん、一人の人間の命の重みが変わってしまうことは異常だ。もう十分だ。
次の時代を導くために、人々は声を上げている。そんな彼らに賛同、応援、批判、傍観、いずれの立場をとるにしてもまずはブラックライブズマター運動をざっくり知ってみようじゃないか。
きっかけはジョージ・フロイドの死
5月25日、ミネソタ州ミネアポリスで買い物をしていたジョージ・フロイド。店員が偽札を疑い通報し、取り押さえられそうになり抵抗すると、地面に倒された。警察の一人が彼の首を膝で8分46秒押さえつけ、彼は亡くなった。言葉を発しなくなる前に訴えていた、“I can’t breathe.”も彼の命を救うことはなかった。
この長すぎる、それとも短すぎるのか、瞬間をとらえた映像はアメリカ中に、世界中に一瞬で広まった。人々は立ち上がった。
けどその背景は、長すぎる黒人の不平等の歴史
今起きているデモは、彼の死に対するものだろうか。もちろん、それは人々を突き動し続ける理由の一つであることに変わりはないが、ジョージ・フロイドは大きなきっかけである。アメリカに”黒人”が連れてこられてから今までずっと、形を変えながら残る差別と、格差へ再び立ち向かう引き金となったのだ。
黒人の味方をすることのなかったアメリカ史
奴隷だった黒人たちは、南北戦争の最中に出された奴隷解放宣言によって名目上解放される。ジム・クロウ法により人種隔離政策がとられるも公民権運動により解決。現在は黒人に不利になる制度はない。
ということになっている。
しかしそもそも、アメリカにおいて警察には”逃げた奴隷を捕まえる”という役割があった。また奴隷解放宣言後に労働力を失った南部は、黒人を労働力として使い続けるため、彼らをどうにか刑務所に入れ無給で働かせた。この際軽い刑を口実に黒人たちは逮捕された。なぜなら彼らにとって黒人は、はあくまで労働力だから。
まさか、今はそんなことないだろうと思いたい。しかし、このシステムは現在も続いている。民間刑務所は一大ビジネスとなり、常に受刑者を確保するために最低限過ごさなければならない刑期を85%と定め、スリ―ストライクス法を制定し三度重罪と認められると終身刑が確定された。つまり、受刑者を作り出すためのシステムが出来上がっていったのである。同時に、現在アメリカで白人男性が投獄される確率は17人に1人、一方黒人男性の場合3人に1人である。かつて逃亡奴隷を捉えるために、また解放後も刑務所にいれ働かせるために、”危険な犯罪者”としてのレッテルを植え付けられた黒人たち。現在の大量投獄システムは、奴隷時代から続くこの”黒人は危険”という人々と社会の心に根付いたイメージに支えられているとも言える。なぜなら彼らは今でも、労働力だから。
そして警察のシステム
これに加えて、警察制度自体の問題も注目されている。限定的免責という名の安全措置である。警察が勤務中に人を殺し起訴されるケースは1%、また暴行被害が告訴され実証されるのは7%。つまり、9割以上の場合警察が過度な暴力をふるっても責任に問われないのである。
法の文面上では平等かもしれない。しかし、だからといって差別があるならばそれはそのような心を持つ人が悪い、というのは少し違うのだ。長い歴史の中で警察に染み付いたその役割は、また現代の経済を回すビジネスは、大昔の時代遅れで人権からかけ離れたシステムを、いまだ休ませることはないようである。
立ち向かうは今までの悲しみと苦さ
ジョージ・フロイドの事件に始まったデモ。これは、長年警察という組織によって、非常に軽く、不平等に扱われてきた黒人たちの、法に味方をされることがなかった彼らの、悲しみと苦みに対するものである。
人びとは再び声をあげた、今度はさらに大きく、広く
ブラックライブズマターがはじめに登場したのは、2013年。黒人青年を銃殺した白人男性が無罪になった事件がきっかけだった。以降、警察や司法システムにより黒人の命がぞんざいに扱われるたびに人々は訴えてきた。今回、明瞭な映像の存在、またパンデミックによる社会機能の落ち込みにより人々のSNSなどを通しての情報獲得が早まり、この運動は今までにない規模に広まった。アメリカ中で、そして世界各地でデモが行われ人々の目に入ったのだ。
変革は、無理じゃない
これまでもデモは行われてきたにも関わらず、再度やらなければならない。終わりはあるのだろうか、デモで何かを変えられるのだろうか。今回のデモは、そんな愚問を吹き飛ばした。
ジョージ・フロイドの殺害の場にいた警察官は即時に解雇、過去に黒人が不当に殺害された事件数件の再捜査が開始、暴力性を報告された警察官らは起訴され、複数の公立学校が警察との契約を破棄したり、差別行為のある警官の雇用について法律が作成されたりもした。
事件から1か月足らずでこの変革である。急すぎるようにも思えるかもしれないが、とっくに行われるべきだった事柄が今になってようやく形になっているとも言えるだろう。とにかく、これはただ叫んで、嘆いて、少し話題になって終わるデモではない。実際に社会のシステムを変える力を持っていることが強くうかがえる。
わたしたちは、どうすればいいの
複数の国でデモが行われたり、SNSに情報がシェアされていたり。それでもこれはアメリカの社会システムの話。国外のわたしたちが何をしようというのか。
沈黙は加担
今までアメリカ社会の中で黒人でない人たちは、何をしていたのだろうか。もちろん、黒人コミュニティとともに声をあげていた人たちもいる。しかし、個人的には差別をしないから、と関与をさけていた人たちもいる。そんな人たちが今回のデモに参加しはじめている。
“Silence is violence.”
何も意思表明をしないのは、自分が差別をしようがしまいが関係なく、加担なのである。少し強引にも聞こえるが、当事者の立場に立てば当たり前とも言える。逆に、声をあげることで、実際に社会システムを変える力を持つ各国の政府やコミュニティの中での問題の優先度を上げ、当事者の思いはそこにとどまらないことを知らせることができる。
遅くないから、学ぶこと
黒人が差別されている、というのは知識として把握していても、その背景にあるシステムや歴史を知っているだろうか。予備知識の程度の差はあれ、当人たちには生活を左右する重大な制度も他の人々には認知度が低かった。上述の刑務所の大量投獄システムや、黒人コミュニティが住む地区の警察による管理など。これらを今、アメリカの人々は学び、世界中の人々がそれに従い始めている。どう考えても、遅すぎる。しかし、遅いからといってなかったことにするより、今たくさんの人が学び知識を身に着ける方が良いことは確かである。現状を変えるためには希望だけでは到底足りない。必要なのは、今があるその原因と経緯を把握し、過去から学ぶことなのである。
批判について
差別をしないことと、他者との差異を無視することはまったくの別物である。わたしたちは全員人間である次に、その中にはたくさんの違いが存在し、それを否定ではなく、知った上でお互いを認め合わなければいけない。またもちろん、黒人ではないマイノリティとされる人種や、すべての人々の命は平等に大切に扱われるべきである。
しかしこれらの、他者との差異の否定に至る可能性や、他の人々の命の大切さの認識は、いかなる正当性を要していても、黒人の命の重さを訴えることの批判につながるべきではないはずである。なぜなら黒人の命がシステムの中で不本意に脆弱な状態に置かれているとき、その状況の打開を批判することは人道的ではないからだ。
少しでも、良い方向へ…
最後に、近年では最大規模のデモとなる2020年のブラックライブズマター。長年妨げられてきた当たり前の権利を手にするための人々の熱意は今、世界中であふれている。この運動で少しでもアメリカが、世界が、あらゆる人に生きやすい場所になる力となることを願う。
そしてその世界を共有する一人一人がこの問題を見つめ行動することで、それを1ミリでも助けることができる可能性を忘れてはいけない。
〈参考〉
https://www.bbc.com/news/world-us-canada-52861726
Instagram :@hanasou.jp
“13th -憲法修正13条-“(2016)
(文・大竹くるみ)