
日本からペルーへの行き方をご存じだろうか。
現時点で
「日本からペルーへの直行便はなく、アメリカ、またはカナダやヨーロッパの都市で乗り換えて、リマに到着するのが一般的。JAL(JL)またはアメリカン航空 American Airlines(AA)、デルタ航空 Delta Air Lines(DL)、ANA(NH)またはユナイテッド航空 United Airlines(UA)など、同じアライアンスのグループの航空会社を利用するのが最も早い。成田、または羽田空港からのフライトのほとんどは、同日にリマのホルヘ・チャベス国際空港 Aeropuerto International Jorge Cháezに到着できる。
(1)JALまたはアメリカン航空利用の場合、成田発のフライトでダラス、マイアミ経由またはロスアンゼルス経由が一般的。所要時間は乗り換え時間も含めて約24時間。アメリカの都市からは同じアライアンスの、ラタム航空 LATAM Airlines(LA)利用となるケースが多い。
(2)デルタ航空利用の場合、アトランタで乗り継いでリマに向かう。所要時間は乗り換え時間も含めて約21時間。
(3)ANAまたはユナイテッド航空利用の場合、ヒューストンで乗り継ぐ成田発のフライトが最も便利。所要時間は乗り換え時間も含めて約25時間。
エアーカナダはカナダで1泊となる。ヨーロッパ経由の便も多いが、所要時間は30時間以上かかる。」
これを見た時、私はアメリカ留学中にペルーに行くことを決め、
当時滞在していたワシントンD.C.からマイアミ経由でリマのホルヘ・チャベス国際空港に向かった。
アメリカ発でもペルーはそれなりに遠く、約半日かかった。
この記事では、ナスカの地上絵に行く際に覚悟しておいた方がいいことをまとめる。
ナスカの地上絵は観光地化が進いるが、なかなか過酷な場所だった。
1.ツアーはそこそこする
ナスカの地上絵は自力で行くことは難しく、ツアーに申し込むことが一般的である。
ちなみに、「ナスカの地上絵 ツアー 現地発」という感じでを検索すると
様々なツアーがヒットするが
一番安いクラスのツアーだと
現地(リマ)発でイカ空港(ナスカの地上絵の遊覧飛行が行われている空港)までの往復送迎+イカ空港税+セスナでの遊覧飛行がついているパッケージが一般的だ。
日系企業によるツアーのみならず、海外企業の運営によるツアーもヒットするが
英語ガイドによる上記のような内容のツアーでも約42,000~45,000円する。
当日のガイドが日本語対応不可な分、値段が下がっているとはいえ
日本語で宣伝広告を出したり予約サイトに掲載したりしている以上、それなりにコストがかかるのだろう。
高い…何とかして安いツアーないかな…
ということで、日本の旅行会社であったり日本のツアー予約サイトに載っているツアーではなく
英語圏の会社のツアーを当ってみることにした。
「Nazca lines tour」などと検索すると、$102のツアーが一番最初にヒットした。
アメリカに本社を構える旅行会社が提供しているものであり、もちろん全て英語だが
この値段はありがたい。
日本語で検索した時とのあまりの値段の違いに不安になったが、
口コミの数も多く評価も高かったことから、$102のツアーに決定した。
英語で検索すると$100~200の価格帯のツアーが多く
世界共通語の威力を思い知った出来事であった。
スペイン語が出来る人はもっと格安のツアーを見つけることが出来るかもしれない。
2.乗り物酔いは想像以上
ナスカの地上絵の遊覧飛行は写真のような12席程度のセスナ機で行われる。
左右に席がついているため、一つの地上絵を見るごとに一回ずつ左右に約90度回転する。
これが、まあ酔う。
事前にナスカの遊覧飛行は乗り物酔いになりやすいと聞いていたが想像以上であった。
旅行会社からは事前に約25%の人が乗り物酔いになると聞いていたが
少なくとも、私が乗っていた機内では約70%が酔っていた。
とにかく酔いがひどかったせいで、写真を撮る余裕は全くなかったため
奇跡的に乗り物酔いにならずケロッとしていた友人に、後で写真を共有してもらった。
ツアー会社から渡された事前のしおりにはDramamineという酔い止めの薬の服用が推奨されていた。
これは、アメリカで最もポピュラーな酔い止め薬であり、どの薬局でも気軽に買うことが出来る。
私も留学中に購入しており、山道のドライブの際に服用して効き目がよかったことから
ナスカの地上絵のフライト時にも服用したのだが
効果を感じることなく、三半規管が壊れてしまったのではないかというくらいの酔いを感じた。
薬の効果には個人差があるので一概には言えないが
ナスカの地上絵観光の乗り物酔いは薬にも勝ることがあるとだけ覚えていた方がいいかもしれない。
実際に、自分が酔ってボロボロになったことで
なぜ、当時の人はあのような地上絵を作ったのだろうかという謎は深まる一方であった。
(文・川本みおこ)